鯨は太古の時代から人々の食生活に利用されてきました。日本各地の縄文・弥生遺跡の貝塚から発見された鯨骨がその食文化の歴史を物語っています。
鯨の用語は古くは「古事記」(712年頃)に「久治良」とありますが代表的なものは「万葉集」(760年頃)にみられる「いさなとり」でしょう。「いさなとり」は言うまでもなく鯨を獲るの意味です。しかしこの時代、沿岸まで回遊した大型鯨はザトウクジラやセミクジラで幼稚な船では積極的に捕獲することは困難だったはずで、病気や傷ついた「流れ鯨」や餌となる魚の群れを追って浜辺に乗り上げた「寄り鯨」と思われます。「万葉集」の「いさなとり」に当てられた用語「鯨」については、古くは鯨が魚であると思われていたので魚編であり、京は大きい意味で大魚のことです。
「くじら」の読み方については「古事記」に「久治良」(クジラ)とあります。また「陸奥風土記」(723頃)に久慈郡(茨城県)にある大きな丘が鯨の形に似ているので逆に「久慈」と名付けたとあります。また初めて日本人が鯨を食べた時、皮と肉の黒と白の鮮やかさに驚き、黒白(クロシロ)とよんだことからそれがつまってクジラになったとする説やくじらの語源は「くくしら」(大獣)のことで、「く」は大を意味する古韓語(古代朝鮮語)で「しし」は肉、獣を意味し「くくしら」が省略されて「くじら」になったという説もあります。

さらに巨大な鯨の口を表現した語源に「口広」(くちびろ)があります。「大言海」(昭和7年頃)に「くじらは、その口、大なれば、口広の約転なりという」とあり、口があまりにも大きので「くちびろ」と呼ばれたのが転化して「くじら」になったのだと説明しています。これはヒゲクジラの姿を見て付けられたものと思われます。

鯨=大魚のまとめとして、長州捕鯨や近代捕鯨の基地である山口県の鯨食文化の一つを紹介します。中国文化の影響もあったと思われますが巨大な鯨を讃え、あこがれる意味で山口県には鯨を尊敬し鯨にあやかる願望が一つの風習となって伝えられています。それは節分や大晦日に鯨を食べる習慣です。鯨のように大きなすばらしい人生を、との願いかが鯨を食べると縁起が良いことに結びつき定着しています。下関市の亀山八幡宮では年末の大祓い式の後、毎年必ず供応されるのが鯨料理です。また民間でも大晦日にわざわざ鯨を求めて食べる地方も多いのです。
以上、下関くじら食文化を守る会、初代会長中原郁生。VOL―2より要約。
中原氏は元下関図書館長で博識があり実際の原稿はもっと詳しい説明がされていますが専門的となることから簡単にまとめました。